大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和44年(あ)682号 決定

決定

(旧名吹喜雄)

徳本光正

(旧名幹雄)

徳本佳則

徳本義行

右の者らに対する各監禁、強要被告事件について、昭和四三年一二月二一日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人徳本佳則、同徳本義行の負担とする。

理由

被告人徳本吹喜雄こと徳本光正の弁護人和島岩吉、同難波貞夫、同北山六郎連名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

被告人徳本幹雄こと徳本佳則、同徳本義行の弁護人荻原由太郎の上告趣意のうち、憲法違反をいう点は、原判決のいかなる点が、憲法のいかなる条項に違反するかを具体的に示していないから不適法であり、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は事案を異し本件に適切でなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、所論に鑑み、職権をもつて記録を調査したが、被告人らに対し、監禁、強要罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号、被告人徳本佳則、同徳本義行につき同法一八一条一項本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(岡原昌男 村上朝一 小川信雄)

〈参考=監禁・強要罪の成立を認めた原判決の判断部分〉

第二、監禁強要についての原審判断に対する事実誤認及び法令の適用の誤の主張について

論旨は、(一)、被告人吹喜雄は、原判示のように、小林に対し、どなりつけ、玩具の拳銃を真物のように装つて示し、麻繩を持ち出し、暴言を吐くなどして脅迫し、奥に対し、どなりつけ、兇器を持つているような態度を示し、暴言を吐くなどして脅迫したことはなく、また小林、奥、下山らは、吹喜雄方、幹雄方、義行方等から、逃げようと思えば何時でも逃げられ、救を求められたのにこのような行動に出なかつたのであり、監禁状態に置かれていたものではなく、殊に大塚事務所で取調べられた後、小林、奥、下山がとどまつていたのは同人らの希望によるものであつて、原判示のような監禁の事実が認められないのにこれを認定した原判決は事実を誤認したものであり、

(二)、仮りに、原判決の認定した被告人吹喜雄の小林、奥に対する脅迫があつたとしても、その程度の脅迫によつて、小林、奥らがそれぞれ原判示の如き長時日にわたつて行動の自由を拘束されたものとは考えられないから、監禁に要する脅迫の程度に至つていないものであり、原判決は小林、奥、下山に対する監禁の手段として監視を認め、特に下山に対する監禁の手段は専ら監視によるものと認定しているが、小林、奥がたとえ常時監視を受けていたとしても同人らに対する監禁罪が成立するかは極めて疑わしく、監視は監禁の補助的手段たる性質のものでそれ独自で監禁の手段となるものではないから、この点で少くとも何らの脅迫もされていない下山に対する監禁罪は成立しないといううべきであり、また小林、奥、下山らが監禁されたとされる場所は、いずれも街中の被告人吹喜雄、同義行、同幹雄や徳本新助の各居宅、被告人大塚の探偵事務所、これらを通ずる街中の電車通りや公道、実地見分の際に連行した楠町六丁目の交差点、有馬街道、神有電車有馬駅前の大衆食堂、十三大橋に近い街角、更に公衆浴場、神有電車の人混み多い駅、下駄屋、街角の煙草屋などで小林らが脱出しようと思えば無数にその機会があつたのであり、同人らがその気になれば容易に脱出できたものであるから、この点からみても小林ら三名に対する監禁罪は成立せず、従つて原判決が監禁につき有罪としたのは、法令の解釈適用を誤つたものであり、

(三)、被告人吹喜雄の小林、奥に対する脅迫は前記程度のものであり、下山に対しては脅迫がなされていず、小林ら三名が被告人大塚の取調べに対し、原判示のように畏怖していたとは考えられず(特に下山については大塚の取調べに先立つて監禁されていた事実さえないのであるから右畏怖は全く考えられない)、小林ら三名が、三、一〇事件の自白をし、口供録取書に署名指印し、実地見分に際し現場指示を行つたのは、その自由な意思にもとずく任意の行為であるから、強要罪を認めた原判決には事実の誤認があるというのである。

よつて記録を精査し当審における事実の取調の結果を参酌して以下これを検討する。

原判決挙示の関係証拠殊に原審第四回、第六回、第七回公判調書中証人小林成司の供述部分、第九回、第一二回公判調書中奥幸夫の供述部分、難波貞夫の検察官(昭和三七年二月九日付)及び司法警察員(同月七日付)に対する各供述調書によると、被告人吹喜雄が昭和三六年一〇月一二日午後五時頃高田信子に命じて神戸電鉄田尾寺駅迄小林成司を呼び出させ、自動車に乗せて午後六時頃原判示自宅へ同行したうえ、同人と対座して三・一〇事件について同人のアリバイを尋ねるなどしていたが、翌一三日午前零時頃、三・一〇事件の犯行を否認する同人に対し大声でど鳴りつけ、着物の胸元を広げて、ふところに差し込んでいた玩具の拳銃を真物のように装つて示し、また押入から麻繩を取り出してこれを伸ばして中腰に構え、「もうここ迄来た以上、お前が家へ帰ろうと思つたら、お前がわしを殺して逃げるか、それとも、わしがお前をやつてしまうか、どつちやなきや帰れない。」などと申向けて脅迫し、前記拳銃を真物と考え同被告人の右言動に畏怖した同人を、その夜は、自分のかたわらに就寝させて脱出できないように監視したこと及び被告人吹喜雄が同月一三日午後六時頃徳本新助方で奥幸夫に対し、「ここへ、なんで連れて来たか分るか。」と申向け、同人が「分かりません。」と答えるや、「お前はここ迄来て未だ嘘をつく気か。」と大声でど鳴りつけ、更に「帰ろうと思うんやつたらこれでわしを殺して帰れ。」と申向けると共に、片膝を立てて右手で帯のあたりを押え、凶器を持つているかのような態度を示して脅迫し同人を畏怖させたことが認められ、そして前記関係証拠中の原審第四回、第六回ないし第八回、第四二回各公判調書中証人小林成司の供述部分、原審第八回ないし第一二回各公判調書中証人奥幸夫の供述部分、原審第一三回ないし第一六回、第四五回各公判調書中証人下山四郎の供述部分、被告人吹喜雄の検察官に対する昭和三七年二月六日付(二通)、同月七日付各供述調書、被告人幹雄の検察官に対する同年二月五日付、同月六日付、同月九日付、同月一五日付、同月二六日付、同年三月一日付各供述調書、被告人義行の検察官に対する同年二月七日付、同月八日付、同月九日付、同月二三日付各供述調書、被告人田窪の検察官に対する同年二月八日付、同月一三日付各供述調書、被告人田中の検察官に対する同年二月三日付、同月八日付、同月一五日付各供述調書、被告人谷本の検察官に対する供述調書、被告人入本の検察官に対する同年一月三一日付、同年二月一日付、同月一五日付、同月二〇日付各供述調書、被告人大塚の検察官に対する同年二月二四日付、同月二六日付、同月二七日付、同月二八日付、同年三月二日付、同月九日付、同月一二日付、同月一三日付各供述調書によると、被告人吹喜雄は昭和三六年一〇月一三日午前九時頃前記脅迫により畏怖している小林成司を大塚私立探偵社に連行したが、同所においてその時刻頃被告人吹喜雄同幹雄、同義行は大塚の証拠固めが済む迄は、小林を脱出帰宅できないように監視して同人を監禁する旨及び奥幸夫及び下山四郎を順次連行して小林同様大塚の証拠固めが済む迄脱出帰宅出来ないよう監視して同人らを臨禁する旨の共謀を遂げ、被告人幹雄が同月一三日午後五時頃高田信子と原判示いすず自動車本山工場附近に赴き、信子に奥を呼び出させ、自動車に乗せて被告人吹喜雄方附近路上迄同行し、そこで被告人吹喜雄が被告人幹雄と交替して午後六時頃徳本新助方へ同行し(その後被告人吹喜雄が奥を脅迫したこと前記のとおりである。)、被告人田窪は同日午後八時頃、被告人田中は同日午後八時過被告人入本は同日午後一一時頃、夫々被告人義行より、また被告人谷本は同月一四日午後九時頃仙崎清良を介して被告人吹喜雄より夫々右小林、奥らを脱出帰宅させないよう見張ることの依頼を受けてこれを承諾し、もつて夫々小林、奥らに対する監禁の共謀を遂げ、またその頃同様下山に対する監禁の共謀を遂げ、被告人幹雄、同田窪が同月一四日午後八時頃高田信子と原判示新井運送株式会社附近に赴き、右信子に「ちよつと用事があるから」と下山を呼出させ、自動車に乗せて徳本新助方へ同行し、更に午後九時頃、被告人吹喜雄が下山を大塚私立探偵社へ同行し、小林を原判決別表第二表記載のとおり、同月一三日午前零時頃から同月一七日午前九時三〇分頃までの間、被告人吹喜雄方及び大塚私立探偵社などで、奥を原判決別表第三表記載のとおり、同月一三日午後六時頃から同月一七日午前九時三〇分頃までの間、徳本新助方、大塚私立探偵社、被告人義行方、同幹雄方、同吹喜雄方などで、下山を原判決別表第四表記載のとおり同月一四日午後九時頃から同月一七日午前九時三〇分頃までの間、大塚私立探偵社、被告人義行方、同吹喜雄方などで、右被告人等において、常時その一部の者(但し、小林に対して同月一三日午後六時頃から午後八時頃までの間、被告人吹喜雄に命ぜられて高田信子)が小林、奥、下山らの身辺につきまとい、同人らが脱出帰宅できないよう監視して、もつて同人らを夫々不法に監禁したこと及びその間に、被告人吹喜雄、同幹雄、同義行は共謀の上、右各監禁によつて、同人らをして、大塚の面前で三・一〇事件の犯行は同人らの犯行である旨そのてん末を自供し、また犯行現場等の指示説明をするなどの要求に応じなければ、引き続き監禁を継続され帰宅を許されないものと感得させ、その旨同人らを畏怖させた上、情を知らない大塚をして、(一)、小林に対し、同月一三日午前九時頃から午後五時三〇分頃までの間、大塚私立探偵社において、三・一〇事件につき問いたださせて、小林をしてその意に反して、原判決「罪となるべき事実」第一節「監禁強要事件」第四「強要事実」一の(一)記載の自供をさせ、及び同記載の第一回口供録取書と題する書面の末尾に署名指印させ、同月一四日午後一一時三〇分頃から午後七時までの間、原判決別表第二表記載のとおり、原判決同一の(二)記載の場所を連れ回して、小林をしてその意に反して原判示の指示説明などや犯行状況の実演をさせ、同月一五日午後二時頃から午後五時頃までの間、大塚私立探偵社において犯行場所や自動車の乗捨て場所につき問いたださした上原判決同一の(三)記載の第二回口供録取書と題する書面の末尾に、小林をしてその意に反して署名指印させ、(二)、奥に対し、同月一三日午後七時頃から翌一四日午前零時頃までの間、大塚私立探偵社において、三・一〇事件について問いたださせて、奥をしてその意に反して原判決同二の(一)記載の自供をさせ、及び同記載の口供録取書(第一回)と題する書面の末尾に署名指印させ、同月一四日午前一一時三〇分頃から午後七時頃までの間、原判決別表第四表記載のとおり、原判決同二の(二)記載の場所を連れ回して、奥をしてその意に反して原判示の指示説明などをさせ、同月一五日午後二時頃から午後五時頃までの間、大塚私立探偵社において犯行場所や自動車の乗捨て場所につき問いたださした上、原判決同二の(三)記載の第二回口供録取書と題する書面の末尾に、奥をしてその意に反して署名押印させ、(三)、下山に対し、同月一四日午後九時過ぎ頃から翌一五日午前二時頃迄の間、大塚私立探偵社において、三・一〇事件について問いたださせて、下山をしてその意に反して原判決同三の(一)記載の自供をさせ、及び同記載の口供録取書と題する書面の末尾に署名指印させ、同月一六日午前九時頃から午後四時頃までの間、原判決別表第四表記載のとおり原判決同三の(二)記載の場所を連れ回して下山をしてその意に反して原判示の指示説明などをさせ、同日午後四時頃から午後五時迄の間、大塚私立探偵社において、犯行場所や自動車の乗捨て場所につき問いたださせて、原判決同三の(三)記載の第二回口供録取書と題する書面の末尾に署名押印させ、もつて小林、奥、下山に夫々義務のないことを行わせたことが認められるから、優に原判示事実を肯認できるのである。

所論は監禁された場所等から考えても、小林、奥、下山らは容易に脱出できたのにこれを試みなかつたものであるというが、前記各証拠によると被告人ら(大塚を除く)及び被告人吹喜雄に命ぜられた高田信子がこもごも小林、奥、下山らが脱出帰宅できないように常時監視し、右監視は夜間就寝時間にも、また大塚探偵事務所への往復、入浴、実地見分等のための外出時にも続けられていたこと、前記の如き小林、奥らに対する各脅迫はそれによつて同人らを畏怖させ、前記監視と相待つてその脱出帰宅を断念させ、また下山に対する監視は、三・一〇事件の第一審第七回公判調書中の証人下山四郎の供述部分、原審第一三回、第一四回、第一五回公判調書中の下山四郎の供述部分によると、下山四郎は前に昭和三二年九月頃神戸拘置所で被告人吹喜雄と同房に居た際、同被告人に「お前が三・一〇事件に関係があることが判つたら、しやばへ出たらただではおかんぞ。」と脅されたことがあり、かねてより被告人吹喜雄に対し畏怖の念をいだいていたので同人が昭和三六年一〇月一四日午後八時頃新井運送株式会社より高田信子に「ちよつと用事があるから」と口実を設けて誘い出され、そのまま半強制的に自動車に乗せられて不安裡のうちに、前記のように徳本新助方次いで大塚探偵事務所へ同行され、異様なふん囲気の下に被告人らの一部が絶えずその身辺につきまとつて脱出帰宅できないよう監視を続けていたことが認められ、これらの事情を考えると同人をしてこれに反抗して脱出帰宅することを断念せしめ、それぞれその行動の自由を奪つたことが認められるから、原判決が被告人らの前記所為を監禁罪にあたるものとして該当法令を適用したのは正当であるから、所論は採用できず、また小林、奥、下山の三・一〇事件についての自白、口供録取書の署名指印、実地見分に同行しての指示説明等は、総て同人らの前示の畏怖によるものであつて、同人らの任意の行為とは到底認められないから、所論の事実誤認、法令適用の主張はいずれも採用できない。論旨は理由がない。

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